スルー力(りょく)
知らない知らない 何も知らない
そんな 大人になったって
知らない知らない 何も見えない
そんな 愚かになったって
知らない知らない 私は何も
知らず知らずに 大人になった
ほんと、何もしていないのに、いつの間にか自分は大人になってしまいました。「心はまだ十代」だなんて言ってられない位に体は変化し、責任も増えました。
知らないと目を背けていた事にも、先頭に立って立ち向かわなくてはいけません。
若いころは何も考えなく行動できたことが、今はもう無理です。よく考えて行動しなければ、傷つけてしまうモノが多いのです。
なので、少しだけ私の経験を生かしていただけたらと思います。知らず知らず大人になる前に・・・('_')
スルー力をご存じでしょうか?最近よくブログの記事でもとりあげられているようですが、相手の価値観ではなく自分の判断で見極め、心をコントロールして落ち込まないようにしようという力の事だそうです。
前文の説明通りの力なら、あまりいい意味ではなく現代の子供はもう身についてるような気がします。
子供の通う学校で、授業参観がありました。その日は先生と親との交流会で、話し合いがもたれました。先生から「インターネット接続をどこまで制限していますか」との問いかけがあり私は違和感を持ちました。
逆にこれからインターネットの時代になるのだから、制限する意味はない→今から学んでおくほうがいい→学ぶ前に人間性が大事→この話し合いは意味がない。他の親の「うちではどうしているのか。」ただただ説明の順番を待っている間。ずっと頭の中でぐるぐると回ります。。そんな調査をして何に役立てるつもりなのか。。
自分の順番がきたので「物は使いようだと、きちんと教えるためにうちでは制限はしていません。」とキッパリ言いました。それに続いて他の母親から出てくる出てくる。「うちも制限は特にしていません。」ほら、みんな使ってるんですよ。
クラスでラインを使った子供のやり取りで問題があったようですが、ラインというツールが悪いわけではなく、使うほうが間違っているのです。これはスルー力があるが故ではないかと思うのです。
行き過ぎた情報発信が問題になる事ってありますね。(おでん〇〇男とか、バイト中に〇〇してみた等)私は、こういう事があるたびに間違ったスルー力を感じるのです。
確かに、自分の心を守るという事は大事です。しかし、自分の判断で何もかもスルーしてしまえば、他人などお構いなしで、自分のおもうままで良いという事になります。それが、”本当に正しいことかどうか”に気付けない要因にもなっていると思います。
”自分は自分”その考え方は間違ってないし、そうあるべきだと思いますが、経験を伴わないスルー力はいかがなものかと思うのです。
私の中学生時代は暗黒時代でした。いい思い出が一つも無く、それは同級生の男の子から陰湿な嫌がらせを受けた事によるものでした。
授業で私が発言をすれば、「耳が腐る。」と言われ、目の前を通れば壁を蹴る音が後ろから聞こえ、体育祭のフォークダンスの練習では、私とペアになった時だけ踊らなくなり、私の姿が目に入ると途端に嘔吐の真似が始まるのです。
クラスは一クラスしかなく、私には逃げ場がありませんでした。
毎日ビクビク過ごし、何故こんなにも嫌われているのか。そればかり考えて過ごしました。スルーする余裕などないし、スルーするなんて思いもつきませんでした。ただただ自分の中で”他人からの敵意”をかみ砕く事に必死でした。
この状況を救ってくれたのは、当時流行っていたペンフレンド(文通相手)の存在でした。ひと時だけでも本当の自分でいる事ができ、徐々に自信を取り戻して行けました。そこで私は自分の心に”折り合いをつける”という事を学んだのです。
要するに、私の中では「スルー力」は経験を伴わなければただの成り上がり
「スルー力」は自分の中で折り合いをつける事
なのです。「スルー力」を間違って使う事が防げたらと思います。
あなただけでもね。( *´艸`)