徳を積む*持論*
ひとつ ひとつ 越えて
ひとつ ひとつ つないで
ひとつ ひとつ 理解して
ひとつ ひとつ つくっていこう
そうやって生きていこう。
あなたと。
この間、親戚の法事に行ってきました。法事では、毎回お坊さんの説法を聞くのですが、今回は「なぜ自分が寺の息子に生まれ、日々お経を唱えているのか」と言うお話でした。そのお坊さん曰く「前世によほど良い行いをして徳を積んだか、よほど悪い行いをして罰を受けているのか、どちらなのかと考えると私は後者ではないかと思っています。」と、なんともお坊さんらしい思慮深さに触れるいい機会でした。
私にとっての「徳を積む」とはなんだろうと思ったのですが、宗教信仰に熱心なわけでもなく、奉仕活動に熱心なわけでなく、「え?もしかして徳がない!?」と一旦落ち込むほどでした。(笑)
一晩考えて、私にとっての「徳を積む」は「与えられたものは受け入れる」であるとの結論になり、ε-(´∀`*) ホッッッ。。。。。
交友関係が広い人っていますよね。逆に狭い人もいますよね。それはそれで両方いいんですよ。実際、私も交友関係は狭いですから。(笑)でも、そんな私でも自分と関わろうと思ってくれる人の、受け入れ態勢はいつでもバッチリなんです。
私とは、きっと合わないだろうと思う相手でもです。要は選り好みしないという事です。関係が継続するか、しないかは、相手が選んでくれます。
そうは言っても、相手に合わせるのではなく、決定権はこちらにももちろんあります。もし、ぶつかって対立した時、自分の意見を主張したとしましょう。あなたの周りの人の反応を思い出してみて下さい。
怒ったり。逆に非難したり。傷ついたり。そういう人はきちんと逃げてくれます。
私の持論ですが、柔軟な人は逃げません。
許容範囲は広いほうが何かと都合がよく、ぶつかりもないのでしょうが、広い=結局どうでもいいの様な気がして、相手の事を思えば、少々キツい事も言っちゃいます。その気持ちを察する事が出来る相手と、私はつながっていきたいのです。
だからと言って、初めからあなたとは合わないと思う。と遠ざけてしまう事はしません。あくまで相手に選んでもらうのです。
扉はいつでもオープンであること。これが私の徳の積み方です。
人はそれぞれ、あなたの徳の積み方は何でしょうか?